箱根リトリート「料亭・俵石」昼食②


「貴賓席の旅」(ピアニシモⅢ)箱根リトリート「料亭俵石」他の映像10

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 バスは箱根に向けて小田原厚木道路を走ります。

 また、車内ではバスガイドさんから様々な話がありました。平塚を通過しました。東海道線を使い、都心部への通勤者が多いこと。料金所を通過して大磯町に入りました。相模原湾を眺めます。このあたりに伊藤博文の別荘があること。島崎藤村の家もあること。島崎藤村は岐阜の馬籠で生まれ、小説執筆中に亡くなったこと。大磯ロングビーチが見える。大磯プリンスホテルが見える。🚌は二宮町に入る。ここは二宮尊徳ゆかりの町とのこと。ここではミカン栽培が盛んで、みかん狩りもできることなど。

平塚市

 平塚市は、神奈川県の湘南地域に位置する市です。東京から南西方向に約60kmの距離にあり、相模平野の南部に広がる地域です。平塚市は、相模川と金目川の下流域に発達した平野と、それを取り囲む台地と丘陵から形成されています。 

 平塚市は、湘南ひらつか七夕まつりや湘南ベルマーレのホームスタジアムがあることで知られています。また、歴史的には旧石器時代からの遺跡が多く見つかっており、古代からの歴史が深い地域です。 

 平塚市の歴史は非常に豊かで、多くの時代を通じて発展してきました。以下に主要な歴史的な出来事をまとめました。

「旧石器時代から奈良時代」

- 旧石器時代:平塚市内には、約23,000年前から13,000年前の旧石器時代の遺跡が存在します。代表的なものに王子ノ台遺跡や

      原口遺跡があります。

- 縄文時代:五領ヶ台貝塚や万田貝塚などの貝塚が発見されており、当時の人々の生活が伺えます。

- 古墳時代:真土大塚山古墳や塚越古墳などが築かれ、重要な遺物が出土しています。

「平安時代から鎌倉時代」

- 857年:桓武天皇の孫の高見王の子・政子がこの地で病死し、その塚が「平塚」の地名の由来となったとされています。

- 1180年:源頼朝が伊豆で挙兵し、平塚の武士たちが参戦しました。

「南北朝時代から江戸時代」

- 1352年:金目観音堂の梵鐘が造られました。

- 1601年:徳川家康が東海道に宿駅・伝馬制度を制定し、「平塚宿」ができました。

「明治時代から現代」

- 1887年:東海道本線が開通し、平塚駅が開業しました。

- 1932年:平塚町と須馬町が合併し、平塚市が誕生しました。

- 1945年:平塚大空襲により市街地の約7割が焼失しました。

- 1951年:第1回七夕まつりが開催されました。

 平塚市の歴史は、古代から現代に至るまで多くの重要な出来事があり、地域の発展に大きく寄与しています。

東海道

 東海道(とうかいどう)は、日本の歴史的な街道の一つで、古代から近世にかけて本州の太平洋側を通る重要な交通路でした。以下にいくつかのポイントを紹介します。

1. 歴史的背景

   - 東海道は、律令時代に設けられた五畿七道の一つで、畿内(現在の京都・奈良周辺)から常陸国(現在の茨城県)までを結ぶ道でした。

   - 江戸時代には、江戸(現在の東京)と京都を結ぶ主要な街道として整備され、五街道の一つに数えられました。

2. 主要な宿場町

   - 東海道には53の宿場町があり、これらは旅人が休息や宿泊をするための場所でした。例えば、箱根、三島、静岡、浜松、岡崎、名古屋などが有名です。

3. 現代の東海道

   - 現在では、東海道新幹線や東海道本線がこのルートに沿って走っており、東京と大阪を結ぶ重要な交通手段となっています。

4. 文化的な影響

   - 東海道は多くの文学作品や絵画に描かれており、特に歌川広重の「東海道五十三次」は有名です。

 

五畿七道

 五畿七道(ごきしちどう)は、古代日本の律令制における広域地方行政区画のことです。これは、中央集権国家を目指した奈良時代の行政制度で、畿内と七道に分かれています。

「五畿」は、以下の5つの国を指します。

- 大和(やまと)

- 山城(やましろ)

- 摂津(せっつ)

- 河内(かわち)

- 和泉(いずみ)

「七道」は、以下の7つの道を指します。

- 東海道(とうかいどう)

- 東山道(とうさんどう)

- 北陸道(ほくりくどう)

- 山陰道(さんいんどう)

- 山陽道(さんようどう)

- 南海道(なんかいどう)

- 西海道(さいかいどう)

 これらの道は、畿内から放射状に伸びており、各地域を結ぶ主要な道路でもありました。

 

 五畿七道の歴史的背景は、奈良時代(710年~794年)に遡ります。この時期、日本は中央集権国家を目指しており、律令制という法体系を整備しました。五畿七道は、この律令制の一環として設けられた広域地方行政区画です。

 「五畿」は、天皇が住む都(奈良や後の京都)を中心とした5つの国で、政治・経済・文化の中心地でした。これに対して、**七道**は地方の広域行政区画で、各地を結ぶ主要な道路網も含まれていました。

 七道は、以下のように分かれていました。

- 東海道:東国への主要な道

- 東山道:内陸部を通る道

- 北陸道:日本海側を通る道

- 山陰道:日本海側の山間部を通る道

- 山陽道:瀬戸内海沿いを通る道

- 南海道:四国や紀伊半島を通る道

- 西海道:九州地方を通る道

 

 五畿七道の具体的な機能は、主に以下のようなものがありました。

1. 行政管理

   - 各道には国司(こくし)や郡司(ぐんじ)といった地方官が配置され、中央政府の命令を地方に伝達し、地方の統治を行いました。

2. 軍事

   - 各道には軍事的な役割もあり、緊急時には兵士の動員や防衛のための拠点として機能しました。

3. 交通・物流

   - 道路網が整備され、物資や情報の流通が円滑に行われるようになりました。これにより、経済活動が活発化し、地方と中央の結びつきが強化されました。

4. 税収

   - 各道からの税収が中央政府に集められ、国家財政の基盤となりました。税は主に農産物や特産品で納められました。

5. 司法

   - 地方での裁判や紛争解決も行われ、法の支配が地方にまで及びました。

 

大磯町

 大磯町(おおいそまち)は、神奈川県の南東部に位置する自然豊かな町です。湘南地域の西部にあり、相模湾に面しています。人口は約3.1万人で、面積は約17.18平方キロメートルです。

 大磯町は、歴史的にも興味深い場所です。江戸時代には東海道の宿場町として栄え、近代以降は温暖な気候を活かして保養地として発展しました。特に、伊藤博文や吉田茂などの著名な政治家が別荘を構えたことでも知られています²。

 観光スポットとしては、大磯ロングビーチや大磯城跡、大磯港などがあります。また、毎月第3日曜日には「大磯市」というイベントが開催され、地元の特産品や手作り品が販売されます。

 

 伊藤博文と吉田茂は、日本の歴史において重要な役割を果たした二人の政治家です。それぞれの功績を簡単に紹介します。

「 伊藤博文」

 伊藤博文(1841年 - 1909年)は、日本の初代内閣総理大臣であり、明治時代の政治家です。彼は以下のような功績があります。

- 大日本帝国憲法の起草:伊藤は憲法の起草に尽力し、1889年に公布されました。

- 内閣制度の確立:初代内閣総理大臣として、内閣制度を確立しました。

- 外交活動:日清戦争や日露戦争の講和交渉に関与し、日本の国際的地位を高めました。

「吉田茂」

 吉田茂(1878年 - 1967年)は、戦後の日本の復興に大きく貢献した政治家です。彼の主な功績は以下の通りです。

- 戦後復興:第二次世界大戦後の日本の復興を主導し、経済成長の基盤を築きました。

- サンフランシスコ平和条約:1951年にサンフランシスコ平和条約を締結し、日本の主権を回復しました。

- 日米安全保障条約:同時に日米安全保障条約を締結し、戦後の日本の安全保障体制を確立しました。

 

島崎藤村

 島崎藤村(しまざき とうそん)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の詩人・小説家です。本名は島崎春樹(しまざき はるき)で、1872年3月25日に現在の岐阜県中津川市馬籠で生まれました。

 彼はロマン主義と自然主義文学の代表的な作家であり、詩集『若菜集』や小説『破戒』『春』『家』『夜明け前』などの作品で知られています。特に『破戒』は、日本の自然主義文学の先駆けとして高く評価されています。

 藤村の作品は、彼自身の壮絶な体験や家族の歴史を反映しており、深い人間洞察と社会批判が特徴です。また、彼の詩のいくつかは歌としても親しまれています。

 藤村の生涯には多くの波乱がありましたが、晩年には数々の栄誉を受け、1943年に71歳で亡くなりました。

 

 島崎藤村の生涯には多くの波乱がありました。彼は1872年に現在の岐阜県中津川市で生まれ、詩人や小説家として活躍しましたが、その人生は決して平坦ではありませんでした。

「家族の悲劇」

- 藤村の父親は明治維新後の混乱の中で精神を病み、獄中で亡くなりました。

- 彼自身も多くの家族を失い、特に妻や子供たちの死は大きな影響を与えました。

「恋愛のスキャンダル」

- 教え子の佐藤輔子との恋愛は、彼の教師としてのキャリアに影響を与えました。

- さらに、姪のこま子との関係は大きなスキャンダルとなり、藤村は一時フランスに逃亡しました。

「文学活動」

- 藤村は自身の体験を元にした作品を多く執筆し、その中には『破戒』や『夜明け前』などが含まれます。

- 晩年には日本ペンクラブの初代会長を務めるなど、文学界での地位を確立しました。

 

 『破戒』(1906年)は、島崎藤村の代表作の一つで、日本の自然主義文学の先駆けとされています⁴。この小説は、被差別部落出身の青年教師、瀬川丑松の苦悩と葛藤を描いています。

「あらすじ」

 主人公の瀬川丑松は、被差別部落に生まれたことを隠して生きるよう父から戒めを受けて育ちました。彼はその戒めを守り、小学校の教師として働いていますが、内心では自分の出自を隠すことに苦しんでいます。

 丑松は、同じく被差別部落出身でありながら、自らの出自を公言して解放運動を行う猪子蓮太郎に強く惹かれます。やがて、丑松の出自が学校で噂されるようになり、さらに猪子が壮絶な死を遂げることで、丑松はついに父の戒めを破り、自らの素性を告白します。

「テーマと影響」

 『破戒』は、身分差別や社会的な抑圧をテーマにしており、藤村自身の苦悩や社会批判が色濃く反映されています。この作品は、当時の日本社会における差別問題を鋭く描き出し、多くの読者に衝撃を与えました。

「評価」

 夏目漱石は『破戒』を「明治の小説としては後世に伝ふべき名篇也」と高く評価しています⁴。また、この作品は後の文学作品や映画にも影響を与え、多くの人々に読み継がれています。

 

 『夜明け前』(よあけまえ)は、島崎藤村の代表作の一つで、1929年から1935年にかけて発表された長編小説です。この作品は、藤村の父親をモデルにしており、幕末から明治維新にかけての激動の時代を背景に、個人と社会の変革を描いています。

「あらすじ」

 物語は、信州木曾谷の馬籠宿を舞台に、主人公・青山半蔵の生涯を中心に展開します。半蔵は、平田派の国学を学び、王政復古に陶酔するも、明治維新後の新しい時代に失望し、次第に精神を病んでいきます。彼の苦悩と挫折、そして家族や村人たちとの関係が詳細に描かれています。

「テーマと影響」

 『夜明け前』は、個人の理想と現実のギャップ、社会の変革とその影響をテーマにしています。藤村は、当時の資料をふんだんに使い、歴史的な背景を重層的に描き出しています。この作品は、近代日本文学を代表する小説の一つとして高く評価されています。

「評価」

 『夜明け前』は、その深い人間洞察と歴史的な描写で、多くの読者に感動を与え続けています。映画や舞台にもなり、広く親しまれています。

 

大磯ロングビーチ

 大磯ロングビーチは、神奈川県中郡大磯町にある大磯プリンスホテルに併設された屋外プールを中心としたレジャー施設です。相模湾を一望できるシーサイドリゾートで、全長140mのウォータースライダーや波のプール、ジャグジーなど、全9種類の多彩なコンテンツが揃っています。

 施設内には1周500mの流れるプールやダイビングプールもあり、家族連れや友人同士で楽しむのに最適です⁵。また、2024シーズンからは料金変動制や優先滑走システム「プラパス」も導入され、さらに便利に利用できるようになっています。

 営業時間は毎日9:00から17:00までで、詳細は公式サイトで確認できます。

 

大磯プリンスホテル

 大磯プリンスホテルは、神奈川県大磯町に位置するリゾートホテルです。JR大磯駅から車で約7分の距離にあり、海や山の美しい景色を楽しむことができます。

 ホテル内には、温泉やスパ施設「THERMAL SPA S.WAVE」があり、インフィニティプールや多彩なサウナ、リラクゼーションスペースを備えています。また、ゴルフコースやテニスコート、ボウリングセンターなどのスポーツ施設も充実しており、アクティブに過ごすことができます。

 レストランでは、洋食や中国料理を楽しむことができ、特に海の景色を望む「S.DINING」や本格的な中国料理を提供する「滄」が人気です。

 

二宮町

 二宮町(にのみやまち)は、神奈川県の湘南地域西部に位置する町です。中郡に属し、人口は約26,763人です。町名は、相模国の二宮である川勾神社に由来しています。

 二宮町は「長寿の里」としても知られ、自然が豊かで、海と山に囲まれた美しい環境が特徴です。年間を通して温暖な気候に恵まれ、四季折々のイベントや伝統行事が盛んに行われています。

 

 二宮町の名前の由来は、相模国の二之宮である川勾神社(かわわじんじゃ)に由来しています。川勾神社は、927年に完成した『延喜式』にも記載されており、創建はさらに古く、垂仁天皇の時代に遡るとされています。

 また、二宮町は昭和10年に町制を施行する際、既に東海道線の二宮駅が開設されていたことや、商工業者の多くが二宮地区に集中していたことから、「二宮町」という名前が選ばれました。

 

二宮尊徳

 二宮尊徳(にのみや そんとく)は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家です。彼は「金次郎」とも呼ばれ、特に報徳思想を提唱し、多くの農村や地域の復興に尽力しました。

「生涯と功績」

- 生誕: 1787年9月4日、相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市)に生まれました。

- 幼少期: 幼い頃から家計を支えるために薪を売り、勉強を続けました。

- 報徳思想: 私利私欲に溺れず、社会に貢献することを重視する思想で、至誠、勤労、分度、推譲の4つの考え方から成り立っています。

- 農村復興: 生涯で600以上の農村や地域を復興させました。

「影響を受けた人物」

 二宮尊徳の報徳思想は、渋沢栄一、松下幸之助、稲盛和夫など、多くの実業家や経営者に影響を与えました。

 

 報徳思想(ほうとくしそう)は、二宮尊徳が提唱した倫理・経済思想です。この思想は、個人の利益だけでなく、社会全体の利益を重視することを基本としています。報徳思想は以下の4つの柱から成り立っています。

1. 至誠(しせい): 誠実であること。真心を持って行動すること。

2. 勤労(きんろう): 労働を尊び、努力を惜しまないこと。

3. 分度(ぶんど): 自分の収入に見合った生活をすること。無駄遣いを避けること。

4. 推譲(すいじょう): 他人に譲ること。自分の利益を他人と分かち合うこと。

 この思想は、個人の幸福と社会の繁栄を両立させることを目指しており、特に農村の復興や地域社会の発展に大きな影響を与えました。

 


「貴賓席の旅」(ピアニシモⅢ)箱根リトリート「料亭俵石」他の映像11

 【全国旅行支援対象コース】最上級バスで行く上質でゆとるある大人の旅「箱根リトリート」(「料亭・俵石」にてハトバス限定メニューの昼食)、「箱根ラリック美術館」(アール・ヌーヴォーとアール・デコの作家、ルネ・ラリック展)、「小田原鈴廣かまぼこの里」(ショッピング)の映像11

 バスは箱根に向けて小田原厚木道路を走ります。バスはトンネルの中を走行。

 また、車内ではバスガイドさんから様々な話がありました。小田原市に入りました。ここには小田原城があります。小田原城は豪族の大森氏が築きました。北条氏はその大森氏を倒しました。北条氏は五代続きました。五代目の時、羽柴の名前だった豊臣秀吉に倒されました。羽柴は豊穣を倒すために小田原にやって来て、山で動物を狩りたいと申し出て北条氏の許可を得ます。そして白とは反対方向の石垣山に北条氏に知られないように館を建てます。2カ月近くかけて館を完成させると、周りを覆っていた木を伐採します。突然白の正面に現れた館を見た北条氏はびっくりして、戦うかどうか決められないうちに北条氏は滅ぼされました。今、5月の終わりころには北条氏の祭りが小田原では行われています。

 バスはトンネルを抜けました。

 車内ではバスガイドさんから、相模湾が見えるとのこと、雨も上がってきそうだとのこと。東海道新幹線も見えるとのこと、小田原の中心市街地も見えるとのこと、車両基地にはたくさんの車両が停まっています。このあたりは梅の花が多く咲いています。昔は梅の花を観賞するためではなく、梅の実を食べるために栽培していました。梅の実は有名で、最期に訪れる「鈴廣」では買い物するが、そこでは小田原の梅で作られた梅干しが買い求めできるとのこと。また、小田原はかまぼこも有名、おでんの具材もたくさんあるとのこと。小田原は「ういろう」でも有名で、大陸から来た医者の「ういろう」さんが薬として仁丹みたいな「ういろう」を作ったそうです。2代目の「ういろう」さんが考えて、うるち米を蒸して、中に甘いものを入れ販売したのが、今の「ういろう」です。

 バスは酒の匂う川と書く酒匂川を渡ります。川の土手にある松の木は二宮尊徳が植えたと言われています。この川の上流の村、茅野で二宮尊徳は商家の家に生まれますが、父母を幼い時に亡くします。叔父の家で育てられた二宮尊徳が、夜遅くまで勉強していると、油がもったいないと消されてしまいます。しかし自分で稼いで買う油なら消されないと思い、一生懸命に働きます。

小田原

 小田原市は、神奈川県西部に位置する歴史と自然が豊かな都市です。戦国時代には後北条氏の城下町として発展し、江戸時代には東海道屈指の宿場町として栄えました。

「見どころ」

- 小田原城: 戦国時代に築かれた日本最大級の城郭で、現在もその壮大な姿を楽しむことができます。

- 小田原漁港: 豊富な魚種が水揚げされ、新鮮な海の幸を楽しめます。

- 曽我梅林: 3万5千本の梅の木が咲き誇る美しい景観が広がります。

「交通アクセス」

- 小田原駅は新幹線や小田急ロマンスカーの発着駅で、東京や横浜へのアクセスが非常に便利です。

「自然環境」

- 緑豊かな山々、清らかな川、雄大な海に囲まれ、温暖な気候が特徴です。

 

小田原城

 小田原城は、戦国時代に後北条氏によって築かれた日本の名城の一つです。以下に小田原城の主な特徴と歴史を紹介します。

「歴史」

- 築城: 小田原城は、15世紀後半に後北条氏の初代当主である北条早雲によって築かれました。その後、北条氏の本拠地として発展し、戦国時代には関東地方の中心的な城郭となりました。

- 攻防戦: 1590年、豊臣秀吉による小田原攻めで有名です。この攻防戦で北条氏は敗北し、城は豊臣軍により占領されました。

- 江戸時代: 江戸時代には徳川家康の家臣である大久保氏が城主となり、城は再建されました。

「見どころ」

- 天守閣: 現在の天守閣は1960年に再建されたもので、内部は博物館として利用されています。歴史的な展示物や資料が豊富に揃っています。

- 城郭: 広大な城郭跡地には、石垣や堀などが残されており、当時の壮大な規模を感じることができます。

- 庭園: 城内には美しい庭園があり、四季折々の風景を楽しむことができます。

「アクセス」

- 所在地: 神奈川県小田原市

- 交通: 小田原駅から徒歩約10分でアクセス可能です。

 

 小田原城にはいくつかの興味深い伝説やエピソードがあります。以下にいくつか紹介します。

「伝説」

- 北条早雲の築城伝説: 小田原城の築城に関して、北条早雲が夢のお告げを受けて築城を決意したという伝説があります。夢の中で神が現れ、この地に城を築くように指示したと言われています。

- 幽霊の伝説: 小田原城には、戦国時代の戦いで亡くなった武士たちの霊が現れるという伝説もあります。特に夜になると、城内で不思議な音や影が見られることがあると言われています。

「エピソード」
- 小田原攻め: 1590年の豊臣秀吉による小田原攻めは有名なエピソードです。この攻防戦では、豊臣軍が城を包囲し、長期間にわたる戦いが繰り広げられました。最終的に北条氏は降伏し、城は豊臣軍に占領されました。

- 大久保氏の再建: 江戸時代に入ると、徳川家康の家臣である大久保氏が城主となり、小田原城は再建されました。大久保氏は城の防御を強化し、城下町の発展にも尽力しました。

 

北条氏

 北条氏(ほうじょうし)は、日本の歴史において重要な役割を果たした氏族です。大きく分けて、鎌倉時代の北条氏と戦国時代の後北条氏の二つがあります。

「鎌倉時代の北条氏」

 鎌倉時代の北条氏は、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族です。北条時政が初代執権となり、その後、北条義時、北条泰時などが続きました。彼らは幕府の実権を握り、政治を主導しました。

「後北条氏」

 戦国時代の後北条氏は、北条早雲(伊勢新九郎)が祖とされ、関東地方を中心に勢力を広げました。北条氏綱、北条氏康、北条氏政、北条氏直と続き、小田原城を本拠地としました²。しかし、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で滅亡しました。

 

鴨宮保線基地

 小田原には、東海道新幹線の重要な施設である鴨宮保線基地があります。この基地は、新幹線の線路や設備の保守・点検を行うための施設です。

「鴨宮保線基地の特徴」

- 歴史: 鴨宮基地は、新幹線の建設に先立って設置された「鴨宮モデル線」の終点として知られています。1962年から数々の走行実験が行われ、新幹線の実用化に大きく貢献しました。

- 役割: 現在では、新幹線の線路や設備の保守・点検を行うための重要な拠点となっています。保線車両が集まり、日々のメンテナンスが行われています。

- 新幹線発祥の地**: 鴨宮は「新幹線発祥の地」としても知られており、基地内にはその功績を記念する石碑も設置されています。

「アクセス」

- 所在地: 神奈川県小田原市鴨宮

- 交通: 小田原駅から鴨宮駅まで電車で約5分、その後徒歩でアクセス可能です。

 

 新幹線発祥の地として知られる小田原市鴨宮には、いくつかの興味深いエピソードがあります。

「鴨宮モデル線」

 1962年、鴨宮から綾瀬までの約30kmにわたるモデル線が敷設されました。このモデル線は、新幹線の実用化に向けた試験走行が行われた場所です。ここで行われた試験走行は、新幹線の技術的な基盤を築く上で非常に重要な役割を果たしました。

「速度記録の樹立」

 1962年10月には、鴨宮モデル線で時速200kmの走行に成功し、翌年3月には電車方式として当時の世界記録である時速256kmを達成しました。この記録は、新幹線の高速運転技術の確立に大きく貢献しました。

「試乗会」

 試験走行の一環として、一般の人々を招いた試乗会も行われました。これにより、新幹線の快適さと速さを多くの人々に体験してもらうことができました。

「記念碑」

 鴨宮には「新幹線発祥之地」を記念する石碑が設置されています。この石碑は、新幹線の開発と試験走行が行われた場所としての歴史的な意義を示しています。

 

小田原の梅

 小田原は梅で有名です。特に曽我梅林が有名で、約35,000本の梅の木が植えられています。毎年2月から3月にかけて「小田原梅まつり」が開催され、多くの観光客が訪れます。

 また、小田原城址公園や小田原フラワーガーデンなど、市内の他の場所でも美しい梅の花を楽しむことができます。

 梅の花が咲く時期に訪れると、街全体が梅の香りに包まれ、とても素敵な雰囲気になりますよ。

 

 曽我梅林(そがばいりん)は、神奈川県小田原市の北東部に広がる梅の名所です。JR御殿場線の下曽我駅周辺に位置し、別所、原、中川原の3つの梅林から成り立っています。ここでは約35,000本の白梅が栽培されており、観梅の名所としても知られています。

 毎年2月頃には「小田原梅まつり」が開催され、多くの観光客が訪れます。梅まつりでは、寿獅子舞や梅の種飛ばし大会などのイベントが行われ、梅の香りを楽しみながら散策することができます。

 また、曽我梅林は歴史的にも興味深い場所で、戦国時代から梅の栽培が行われてきました。江戸時代には小田原藩主の奨励により、梅の栽培が広まりました。

 訪れる際は、公共交通機関を利用するのが便利です。下曽我駅から徒歩15~20分ほどで梅林に到着します²。

 

ういろう

 小田原では「ういろう」が非常に有名です。小田原の「ういろう」には、和菓子と薬の2種類があります。

1. 和菓子のういろう: 米粉と砂糖を使った蒸し菓子で、もっちりとした食感と上品な甘さが特徴です。色や味は季節や地域によって異なりますが、白、黒、茶、緑の4色が基本です。

2. 薬のういろう: 「透頂香(とうちんこう)」とも呼ばれる漢方薬で、頭痛や風邪、胃腸炎などに効果があるとされています。この薬は約650年の歴史があり、小田原の「ういろう本店」でのみ購入できます。

 

 「ういろう」の歴史は非常に古く、室町時代にまでさかのぼります。以下にその概要を紹介します。

1. 起源

   - 和菓子のういろう: 室町時代に中国から伝わったとされ、米粉や砂糖を使った蒸し菓子として広まりました。特に、黒砂糖を使った「黒糖ういろう」が本来の姿とされています。

   - 薬のういろう: 元の医師であった陳宗敬が日本に帰化し、博多で創業した「透頂香」という薬が起源です。その後、彼の子孫が京都でこの薬を広めた際に、口直しとして添えた菓子が「ういろう」として知られるようになりました。

2. 小田原との関係

   - 小田原の「ういろう」は、1504年に京都から分家した外郎家が始めたもので、薬の「ういろう」と和菓子の「ういろう」の両方を製造しています。

3. 全国への広まり

   - 江戸時代には日本各地に広まり、現在では名古屋、京都、山口などでも名物として親しまれています。

 「ういろう」はその歴史とともに、地域ごとに異なる特徴を持つ和菓子として愛されています。興味があれば、各地の「ういろう」を食べ比べてみるのも楽しいかもしれません。

 

酒匂川

 酒匂川(さかわがわ)は、静岡県および神奈川県を流れる二級河川です。富士山の東麓と丹沢山地の西南部を主な源流とし、御殿場市から始まり、神奈川県の小田原市で相模湾に注ぎます。

 この川は、静岡県内では「鮎沢川(あゆざわがわ)」と呼ばれ、神奈川県では相模川に次ぐ重要な河川とされています。流域には多くの自治体があり、御殿場市、小山町、山北町、開成町、南足柄市、松田町、大井町、小田原市が含まれます。

 酒匂川は、上流では富士山のなだらかな裾野が広がり、流れが穏やかです。中上流域では谷が深く、渓流の趣があります。下流の足柄平野付近では川幅が広がり、水田や住宅地が多く見られます。

 

二宮尊徳が植えた松並木

 酒匂川の堤防には、二宮尊徳が植えたとされる松並木があります。江戸時代の農政家である二宮尊徳は、子守りの駄賃を使って松の苗を植えました。この松並木は、現在も約400本のクロマツが植栽されており、治水に役立っています。

 この松並木は「二宮尊徳ゆかりの松並木」として知られ、小田原市の観光スポットの一つです。

 二宮尊徳(にのみや そんとく)は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家として知られています。彼の生涯と功績について簡単に紹介します。

「生涯」

- 生誕: 1787年9月4日、相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市)に生まれました。

- 幼少期: 幼い頃から家計を支えるために薪を売り、勉強を続けました。この姿が「薪を背負いながら読書をする」銅像として有名です。

- 農村復興: 彼は「報徳思想」を唱え、600以上の農村や地域を復興させました。この思想は「至誠・勤労・分度・推譲」の4つの考え方で構成されています。

- 死去: 1856年11月17日、栃木県日光市で亡くなりました。

「功績」

- 報徳仕法: 二宮尊徳は、農村の復興を目指して「報徳仕法」を実践しました。この仕法は、農村の財政を立て直し、持続可能な発展を促すものでした。

- 教育: 彼の思想は、後に多くの経営者や思想家に影響を与えました。例えば、トヨタ自動車の創業者・豊田佐吉やパナソニック創業者の松下幸之助などがその影響を受けています。

「名言」

 二宮尊徳の名言の一つに「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり」というものがあります。これは「誠実な心で行動すれば、必ず結果がついてくる」という意味です。

 

 二宮尊徳(にのみや そんとく)は幼少期に両親を亡くしました。彼の父は尊徳が14歳の時に、母は16歳の時に亡くなりました。その後、尊徳は伯父の家に預けられました。

 二宮尊徳は伯父の萬兵衛(まんべえ)の家に預けられましたが、厳しい環境で育てられました。萬兵衛は尊徳が夜に読書をするのを「燈油の無駄遣い」として嫌い、しばしば口汚く罵りました。しかし、尊徳は逆境にもめげず、菜種を植えて油を作り、読書を続けるなど工夫を凝らして学び続けました。


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 バスは箱根に向けて小田原厚木道路を走ります。

 また、車内ではバスガイドさんから様々な話がありました。二宮尊徳は傾いていた小田原藩の財政を立て直し、そのことが認められて、栃木の農業開発に力を貸してほしいと請われます。反対もありましたが、栃木の今市に家族とともに移り住み、栃木の農業開発に力を注ぎます。また小田原提灯の話もあり、懐に入るので、懐提灯とも言われています。

 バスはこの先、小田原は厚木道路を箱根で降り、箱根の山を登ります。

 このあたりはミカン栽培が盛んで、みかん畑があります。

 バスはまた、トンネルに入ります。トンネルを抜けると豊臣秀吉が造った館のあった石垣山があります。山のふもとには一夜城資料館があります。相模の海が左に見えます。小田原城も見えます。小田原かまぼこの里も見えます。そこでは地ビールの販売もされています。小田原鈴廣は箱根駅伝で画面に映り込んでいるそうです。また、この先、山道に入るので、座席のテーブルの上のものに注意とのこと。雨は小雨になりました。左下には箱根新道があります。この先、湯元を通過します。箱根にはたくさんの温泉があり、その玄関口に広がるのが湯元温泉です。この先、小田急の湯本駅が見えます。本日はピアニシモ「サファイア」号で訪れていますが、新宿から小田急のロマンスカーが湯本駅まで来ています。そして箱根登山鉄道で登れます。6月にはアジサイも楽しめます。さらに駒ケ岳にはロープウェイもあります。

小田原藩と二宮尊徳

 二宮尊徳は小田原藩の財政を立て直すのに大きな貢献をしました。彼はまず、小田原藩の家老である服部家の財政再建を成功させました。その後、小田原藩主の大久保忠真に認められ、下野国桜町領の復興を命じられました。尊徳はその地で治水や荒地の開墾を進め、農民たちのやる気を高めるための施策を実施しました。

 このようにして、彼の手法は「桜町仕法」や「報徳仕法」として知られるようになり、多くの村々の復興に役立てられました。

小田原提灯

 小田原提灯(おだわらちょうちん)は、江戸時代中頃に小田原の提灯職人・甚左衛門が考案した提灯です。特徴としては、折りたたむと上下の蓋が組み合わさり、携帯に便利な点が挙げられます。これにより、旅人が持ち運びやすく、雨や霧にも強い丈夫な胴紙が使われています。

 小田原提灯は、蛇腹形状を持ち、折りたたんで携帯しやすいことから、江戸時代には大人気の商品となりました。また、胴部の竹ひごが四角形に削られているため、糊付け面が多く、剥がれにくいという特長もあります。

 現在、小田原市内では山崎提灯店と飯沼提灯店の2店舗が小田原提灯を製作していますが、後継者不足が課題となっています。

 毎年7月には「小田原ちょうちん夏まつり」が開催され、提灯を使った踊りやイベントが行われます。

 

石垣山城

 豊臣秀吉が造った石垣山城(いしがきやまじょう)は、神奈川県小田原市に位置する城で、別名「石垣山一夜城」や「太閤一夜城」とも呼ばれています。この城は、1590年の小田原征伐の際に築かれました。

 石垣山城の特徴は、標高261.9メートルの山頂に位置し、東西270メートル、南北550メートルにわたる広大な敷地を持つことです。秀吉は、城の建設を短期間で行い、周囲の木々を一夜で伐採して城を完成させたように見せかけたため、「一夜城」と呼ばれるようになりました。

 この城は、北条氏を屈服させるための戦略的な拠点として重要な役割を果たしました。現在、石垣山城跡は国の史跡に指定されており、観光名所としても人気があります。

 

一夜城資料館

 石垣山のふもとにある一夜城資料館は、神奈川県小田原市に位置する歴史資料館です。正式名称は「石垣山一夜城歴史公園」といい、豊臣秀吉が築いた石垣山城の跡地にあります。

 この資料館は、秀吉が小田原攻めの際に築いた石垣山城の歴史や、その背景にある戦国時代の出来事を紹介しています。石垣山城は、わずか数ヶ月で築かれたことから「一夜城」とも呼ばれています。城の周囲の木々を切り払って小田原城からも見えるようにしたことで、北条氏が驚き、戦意を喪失したという伝承があります。

 資料館では、城の模型や当時の武具、文献などが展示されており、訪れる人々に戦国時代の雰囲気を感じさせます。また、石垣山一夜城歴史公園として整備されており、散策しながら当時の城郭の遺構を楽しむことができます。

 

鈴廣かまぼこの里

 小田原の鈴廣かまぼこの里は、神奈川県小田原市にある観光スポットで、特にかまぼこで有名です。ここでは、かまぼこ作りの体験や、職人技の見学が楽しめる「かまぼこ博物館」や、地元の食材を使った料理が楽しめるレストラン「えれんなごっそ」などがあります。

 また、鈴廣かまぼこの里には、かまぼこや干物、スイーツなどのお土産が揃う「鈴なり市場」もあり、ここでしか買えない商品も多くあります²。さらに、子供向けの職業体験イベントや、季節ごとのイベントも開催されています。

 訪れる際には、箱根登山線の風祭駅から直結しているので、アクセスも便利です⁴。

 

箱根湯本温泉

 箱根湯本温泉は、箱根の玄関口に位置し、天平10年(738年)に開湯された歴史ある温泉地です。箱根湯本温泉は箱根で最も多くの源泉を持ち、箱根の中心的な温泉地として知られています。

 温泉の泉質は主にアルカリ性単純温泉で、肌に優しく、冷え性や肩こり、腰痛の解消に効果があるとされています³⁴。また、箱根湯本温泉は日帰り温泉施設も多く、手軽に訪れることができるのも魅力の一つです。

 アクセスも良好で、東京から電車で約1時間半で到着します。箱根湯本駅からは徒歩やバスで温泉街にアクセスできます。

 

箱根新道

 箱根新道(はこねしんどう)は、神奈川県足柄下郡箱根町の湯本から箱根峠までを結ぶ国道1号のバイパスです。全長約13.8kmの自動車専用道路で、1962年に開通しました¹。以前は有料道路でしたが、2011年から無料で利用できるようになりました。

 この道路は、箱根の急勾配を一気に登るため、上り坂と下り坂が続きます。特に急な勾配区間では8%に達することもあり、登坂車線やブレーキ故障車用の退避所が設けられています。また、冬季にはタイヤチェーンの装着が必要な場合もあります。

 箱根新道は、箱根観光や静岡方面へのアクセスを大幅に改善し、観光客や運送業者にとって重要な道路となっています。

 

箱根湯本駅

 箱根湯本駅(はこねゆもとえき)は、神奈川県足柄下郡箱根町にある小田急電鉄の駅です。箱根登山鉄道線の終点であり、観光地としても有名です。駅番号はOH 51です。

「駅の特徴」

- 停車する電車: 特急ロマンスカーを含む一部の列車が停車します。

- バリアフリー設備: エレベーター、エスカレーター、車いす対応トイレなどが完備されています。

- 駅構内の店舗: 箱根キャリーサービス、箱根カフェ、スイーツショップなどがあります。

「周辺情報」

- 観光スポット: 箱根ガラスの森美術館、芦ノ湖、箱根強羅公園などが近くにあります。

- イベント: 湖尻龍神祭、鳥居焼まつり、箱根強羅夏まつり大文字焼などのイベントが開催されます。

 

小田急ロマンスカー

 小田急ロマンスカーは、小田急電鉄が運行する特急列車の総称です。新宿駅から箱根湯本駅までを結ぶ特急電車で、全席指定制です。ロマンスカーにはいくつかの車両タイプがあり、展望席がある車両もあります。

「主な車両タイプ」

- GSE (70000形): 箱根方面への観光に最適な車両。

- MSE (60000形): 東京メトロと直通運転が可能な青い車両。

- EXEα (30000形): 多様なニーズに対応する進化型車両。

- VSE (50000形): 展望席が特徴の車両。

「利用方法」

 特急券はインターネットや自動券売機、窓口で購入できます²。また、スマートフォンアプリ「EMot」を利用すると、オンラインでの予約や購入が便利です。

「観光情報」

 ロマンスカーを利用して、箱根や江の島、鎌倉などの観光地を訪れることができます。特急料金をプラスすることで、フリーパスを利用して快適に旅行が楽しめます。

 

小田急

 小田急電鉄(小田急)は、東京都と神奈川県を中心に鉄道事業を展開する大手私鉄です。以下は小田急の主な特徴です。

1. 路線網: 小田急線は新宿から小田原、江ノ島、箱根湯本などを結ぶ広範な路線網を持ち、通勤・通学だけでなく観光にも便利です。

2. ロマンスカー: 特急ロマンスカーは、小田急の象徴的な列車で、快適な座席とパノラマビューが特徴です。箱根や江ノ島への観光に人気があります。

3. 歴史: 小田急電鉄は1927年に設立され、長い歴史を持つ鉄道会社です。

4. サービス: 小田急は、鉄道事業だけでなく、不動産業や百貨店事業なども展開しており、地域社会に貢献しています。

 

箱根登山鉄道

 箱根登山鉄道は、神奈川県の小田原から箱根湯本、強羅、早雲山を結ぶ鉄道で、観光客に人気のある路線です。以下は主な特徴です

1. 歴史: 1919年に開業し、日本で有数の本格的な山岳鉄道です。

2. 路線: 小田原から箱根湯本までの区間と、箱根湯本から強羅までの区間があります。さらに、強羅から早雲山まではケーブルカーが運行しています。

3. 急勾配: 粘着式鉄道では最も急勾配となる80‰(パーミル)の勾配を登る姿は圧巻です。

4. スイッチバック: 山の傾斜を登るためにスイッチバック方式を採用しており、運転士と車掌が入れ替わる様子も見どころの一つです。

5. 四季折々の風景: 春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季折々の美しい風景を楽しむことができます。

 箱根登山鉄道は、観光だけでなく、地元の人々の日常の交通手段としても利用されています。

駒ケ岳ロープウェイ

 駒ケ岳のロープウェイには、主に2つの有名なものがあります。

1. 中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイ(長野県)

   - 概要: 長野県駒ヶ根市のしらび平駅から千畳敷駅までを結ぶロープウェイです。全長は約2,333メートルで、高低差は日本一の950メートルです。

   - 特徴: 千畳敷カールや木曽駒ヶ岳へのアクセスが可能で、標高2,612メートルの千畳敷駅は日本で最も高い場所にある駅です。

   - 所要時間: 約7分30秒で、絶景を楽しみながらの空中散歩ができます。

2. 箱根駒ヶ岳ロープウェー(神奈川県)

   - 概要: 神奈川県箱根町の芦ノ湖畔から駒ヶ岳山頂までを結ぶロープウェイです。全長は約1,800メートルです。

   - 特徴: 山頂からは富士山や駿河湾、伊豆半島などの絶景が広がり、箱根神社元宮もあります。

   - 所要時間: 約7分で、芦ノ湖や箱根の全景を楽しむことができます。

 


「貴賓席の旅」(ピアニシモⅢ)箱根リトリート「料亭俵石」他の映像13

【全国旅行支援対象コース】最上級バスで行く上質でゆとるある大人の旅「箱根リトリート」(「料亭・俵石」にてハトバス限定メニューの昼食)、「箱根ラリック美術館」(アール・ヌーヴォーとアール・デコの作家、ルネ・ラリック展)、「小田原鈴廣かまぼこの里」(ショッピング)の映像13

 バスは国道1号線を箱根の山を登ります。バスは湯本駅を通過して、青いロマンスカーが見えます。湯本駅の周辺にある土産屋がたくさん見えます。バスは早川を渡ります。温泉スタンドも見えます。

 また、車内ではバスガイドさんから様々な話がありました。この先の塔ノ沢温泉に入ること。14代将軍、徳川家茂公に嫁入りした、皇女和宮が32歳の時、不治の病にかかり、療養のために来たのが箱根。この先の環翆楼で療養しましたが32歳で亡くなります。バスは塔ノ沢の環翆楼の前を通過。バスは小田原神社を通過。左上には熊野神社があります。

 バスは箱根登山鉄道の下をくぐります。箱根の山の誕生についての話がありました。40万年前に噴火爆発があり、1600m級の山が誕生。大角山、金時山、小池山の山並みができた。それが一番外を取り巻く外輪山。2回目の噴火爆発は13万年前、中央火口から溶岩が流れ出て、鷹の桧山、仙元山などが誕生。3回目は5000年前、中央火口から、釣り鐘状に噴火、駒ケ岳、小涌谷のある神山。3階の噴火で箱根の山はできた。温泉には湯元、塔ノ沢、宮ノ下、強羅、宮城野、足の湯、芦ノ湖など。青空が見えてきたことなど。

温泉スタンド

 箱根湯本駅周辺にはいくつかの温泉スタンドがあります。例えば、「和泉」という日帰り温泉施設では、セルフ温泉スタンドを提供しています。ここでは、20リットル300円、100リットル1000円で温泉水を購入することができます。

 また、「温泉販売所 宝蔵」も温泉スタンドを提供しており、芦之湯エリアに位置しています。

 どちらも温泉水を持ち帰ることができるので、自宅で温泉気分を楽しむことができますよ!

 温泉水を持ち帰る際には、いくつかの注意点があります。

1. 容器の選択: 温泉水は高温であることが多いため、耐熱性のある容器を使用することが重要です。また、密閉できる容器を選ぶことで、運搬中の漏れを防ぐことができます。

2. 保存方法: 温泉水は新鮮なうちに使用するのが理想的です。長期間保存すると成分が変質する可能性があるため、できるだけ早く使い切るようにしましょう。

3. 使用方法: 自宅で温泉水を使用する際は、適切な温度に調整してから入浴することが大切です。直接肌に触れる前に、温度を確認してください。

4. 衛生管理: 容器や使用する場所の衛生管理を徹底することで、温泉水の品質を保つことができます。

 

塔ノ沢温泉

 塔ノ沢温泉は、箱根湯本からほど近い場所に位置する歴史ある温泉地です。江戸時代から多くの文人や旅人に愛されてきました。塔ノ沢温泉の特徴や魅力についていくつかご紹介しますね。

「特徴と魅力」

1. 歴史的背景: 塔ノ沢温泉は江戸時代に発見され、文学や旅行案内にも頻繁に登場しました。例えば、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも描かれています。

2. 泉質: 塔ノ沢温泉の泉質は単純温泉で、弱アルカリ性のため肌に優しく、つるつるとした感触が特徴です。子宝の湯としても知られています。

3. 自然環境: 早川の渓流沿いに位置し、四季折々の美しい風景を楽しむことができます。特に新緑や紅葉の季節は絶景です。

4. 老舗旅館: 塔ノ沢温泉には多くの老舗旅館があり、それぞれが独自の歴史と魅力を持っています。例えば、「環翠楼」や「紫雲荘」などが有名です。

「アクセス」

塔ノ沢温泉は、箱根湯本駅から箱根登山鉄道で約3分、またはバスで簡単にアクセスできます。

 

『東海道中膝栗毛』

 『東海道中膝栗毛』(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、江戸時代後期の滑稽本(こっけいぼん)で、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が1802年から1814年にかけて執筆・出版した作品です。

 この作品は、弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)の二人が、江戸から伊勢神宮、さらに京都や大阪を巡る旅の様子を描いています。彼らの旅は、失敗やいたずら、冗談が満載で、読者に笑いを提供することを目的としています。

「主な登場人物」

- 弥次郎兵衛: 江戸の住人で、50歳。肥満体で、教養が高く、楽器演奏や詩作も得意。

- 喜多八: 弥次郎兵衛の居候で、30歳。元は男娼で、弥次郎兵衛とともに旅に出る。

「旅のルート」

- 江戸から伊勢神宮へ

- さらに京都、大阪、四国、中国地方を巡り、最終的に江戸に戻る。

 この作品は、江戸時代の庶民の生活や文化を描写し、当時の旅行の実態を知る貴重な資料ともなっています。また、挿絵も多く、視覚的にも楽しめる作品です。

 

環翆楼

 「環翠楼」(かんすいろう)は、神奈川県箱根町塔ノ沢にある歴史ある温泉旅館です。創業は約400年前の慶長19年(1614年)で、現在の建物は大正8年(1919年)に建てられたものです。

「特徴」

- 建物: 環翠楼の建物は、国の登録有形文化財に指定されており、大正時代の木造建築の美しさを今に伝えています。

- 温泉: 源泉掛け流しの温泉が楽しめます。温泉はアルカリ性単純泉で、お肌に優しいとされています。

- 料理: 箱根の山の幸や相模湾の海の幸をふんだんに使った懐石風料理が提供されます。季節ごとに変わるメニューが楽しめます。

- おもてなし: 昔ながらの旅館の雰囲気を大切にしており、主人自らが客をもてなすスタイルです。

 環翠楼は、歴史と自然に囲まれた静かな環境で、ゆったりとした時間を過ごすのに最適な場所です。

 「環翠楼」(かんすいろう)は、神奈川県箱根町塔ノ沢にある歴史ある温泉旅館で、約400年前の慶長19年(1614年)に創業されました。その後、大正8年(1919年)に現在の建物が建てられました。

「歴史的背景」

- 創業と発展: 環翠楼は、箱根七湯の一つである塔ノ沢温泉に位置し、江戸時代から多くの旅人や湯治客に愛されてきました。

- 著名な宿泊客: 明治時代には、初代内閣総理大臣の伊藤博文や文学者の夏目漱石など、多くの文化人や政治家が訪れました。伊藤博文は「環翠楼」という名前を贈ったことでも知られています。

- 和宮との関わり: 明治10年(1877年)には、静寛院宮和宮が病気療養のために長期滞在し、村人と親交を深めました。

「建物と文化財」

- 環翠楼の建物は、大正時代の木造建築の美しさを今に伝え、国の登録有形文化財に指定されています。

- 温泉は源泉掛け流しで、アルカリ性単純泉が特徴です。

 

箱根山

 箱根山は、約40万年前に火山活動を開始したとされています。その後、何度も噴火を繰り返し、現在のような複雑な地形が形成されました。

 箱根山は大きく3つの時期に分けて活動してきました。

1. 古期外輪山:約40万年前に始まり、約25万年前には標高2,700mにも達する成層火山が形成されました。その後、約18万年前にカルデラが誕生しました。

2. 新期外輪山:約13万年前から再び火山活動が活発になり、カルデラ内に小型の楯状火山ができました。約5万2000年前には大規模な噴火が起こり、現在の外輪山が形成されました。

3. 中央火口丘:約5万年前からカルデラ内で再び火山活動が始まり、現在の箱根山の中心部が形成されました。

 現在でも箱根山は活発な火山活動を続けており、大涌谷などで噴煙や硫黄の噴出が見られます。

 

塔ノ沢の神社

 塔ノ沢にはいくつかの神社がありますが、特に有名なのは以下の神社です。

1. 玉簾神社(たまだれじんじゃ):ホテル天成園の庭園内にあり、縁結びや恋愛成就のご利益があるとされています。二つの滝に挟まれた場所にあり、自然の中での参拝が楽しめます。

2. 深澤銭洗弁財天(ふかざわぜにあらいべんざいてん):塔ノ沢駅のすぐ横にあり、金運や商売繁盛のご利益があるとされています。駅からのアクセスも良好です。

3. 阿弥陀寺(あみだじ):根外輪山の登山前に立ち寄る人も多く、静かな環境で参拝できます。

 これらの神社はそれぞれ異なるご利益があり、訪れる価値があります。

箱根の温泉

 箱根は温泉地として非常に有名で、たくさんの素晴らしい温泉があります。以下はいくつかのおすすめの温泉です。

1. 箱根湯本温泉:箱根の玄関口に位置し、アクセスが非常に便利です。多くの旅館やホテルがあり、日帰り温泉も楽しめます。

2. 強羅温泉:標高が高く、眺望が素晴らしい温泉地です。強羅公園や箱根美術館などの観光スポットも近くにあります。

3. 仙石原温泉:自然に囲まれた静かな温泉地で、特に秋にはすすき草原が美しいです。

4. 芦ノ湖温泉:芦ノ湖の湖畔に位置し、湖の景色を楽しみながら温泉に浸かることができます。